天界の秘義 #5955

Por Emanuel Swedenborg

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5955. 「そしてベニヤミンには、銀三百枚」とは、仲介者にたいしては、善由来の真理が充満していることを意味します。「ベニヤミン」は、仲介者を表象します(5600,5631,5639,5688,5822節)。銀三百枚を与えた「ヨセフ」は、内部的善を表わします(5826,5827,5869,5877節)。「三百」とは、充満 を意味しますが、これについては、後述します。「銀」は、真理を意味します(1551,2954,5658節)。

以上から、「ベニヤミンには、銀三百枚」とは、仲介者にたいして、善に根ざす真理の充満が与えられたことを指します。「ベニヤミン」が演じる仲介とは、内部の天的なものの流入による〈準内部の真理〉を表わします(5600,5631節)。「三百」は充満です。三と百の相乗積から生まれたものです。三は充満を意味し(2788,4495節)、「百」は多数を意味します(4400節)。合成数は、その元になっている単純数の意味を受け継ぎます。

② 〈みことば〉の他の箇所でも、三百が登場しますが、同じような意味があります。「ノアの箱舟は、長さが三百キュビトであった」(創世記 6:15)。また、「ミデアン人を撃ったギデオンの兵は、三百人であった」とあります。士師記には、次のようにあります。

「自分の手を口にあてて、水をなめた者の数は三百人であった。・・・エホバはギデオンに言われた。わたしは水をなめた三百人をもって、・・・ミデアン人をあなたの手にわたす、と。・・・かれは三百人を三隊に分け、各自が手にラッパと空の壷をもち、空壷の中に松明を点らせた。・・・三百のラッパが響くと、エホバは敵軍にたがいの同志打ちをさせられた」(士師記 7:6-8,16,22)。

上掲の「三百人」は、充満を意味します。三百人を分けて編成した「三隊」も同じです。「百」は、隊編成上の単位でしたが、これは多数とか充分であることを意味します。つまりはミデアン人に対抗するために充分でした。

それ以外にも、手で汲んで水をなめた人、各自ラッパをもっていたこと、松明の入った空壷なども、すべて表象です。かれらが対戦した「ミデアン人」は、〈いのち〉の善が備わっていないため、真理ではない真理を表わします。

ただし以上のすべてについては、神なる主の慈しみに頼って、いずれ触れることにします。数が表象であったことは、他の多くの箇所からも明らかです。例えば、ヨシュアがエリコを占領したときの「七」がそうです。そのさい次のように命じられました。

「契約の箱の前を、七人の祭司が、七つのラッパを吹いて、勝どきをあげ、七日目には七回、町のまわりを巡ること」(ヨシュア記 6:4)。

  
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