5067. 主が注目されるのは、外部ではなく、内部です。内部を証明するのは、信心業ではなく、仁愛であり、仁愛の行いです。だからこそ、主は、「わたしの兄弟であるこれらの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしたことになる」と応えられました。
主は、仁愛の善と〈いのち〉の善を宿している人を、兄弟と呼ばれます。主は、善そのものに宿っておられ、そのような人々とともにおられます。そのような人こそ、固有の意味で、隣人です。この人々も、主に比べると卑しい人々であり、主はご自分を開き示されることはありませんが、人は、主のみ前に、自分が内部から、主に仕えていたことを開き示します。