天界の秘義 #5264

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5264. 「神はこれからなさることをパロに示されました」とは、自然的なものに与えられた感知は、どのような摂理的な配慮かを示しています。「神がなさること」とは、これから述べるように、摂理的配慮を意味します。「示す」とは、交流であり、感知させることです(3608,4856節)。「パロ」とは、自然的なものを表象していることは、前述の5263節を参照してください。

以上で、「神はこれからなさることをパロに示された」とは、自然的なものが感知できるようにされた摂理的配慮を指すことが分かります。

② 「神がなさること」とは、摂理的に配慮されたことです。神、すなわち主がなさることは、みな摂理的ですが、それは摂理的な事柄とは、神的なものだからです。しかもその神性は、それ自身として、永遠性と無限性を含みます。

永遠とは、出発点として区切られる限界や、終着点として区切られる限界は、眼中にありません。また無限は、個々のものの中に普遍性を、普遍性の中に個々のものを、同時的に目指します。これがいわゆる、み摂理 です。

主がなさる個々全体の中には、このような摂理が内在しています。そのため、主が「なさる」ことは、摂理という単語でしか、表現できません。主がなさる個々全体の中に、無限と永遠が含まれていることは、神なる主の慈しみに頼り、実例を挙げ、他の個所で、説明することにします。

  
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Many thanks to Arcana Press for their permission to use this translation online.