313. 17. 二人の精神状態は、順序を踏み進んでいくことで、結婚の状態に入っていく。ただし霊的な人たちの場合と、自然的な人たち場合とのあいだでは、それぞれ違っている。
学問の世界で真理として認められている基準 canon がありますが、それによると、最終の状態は、それが形成され、実在するようになるための斬進的秩序 ordo successivus によって決まってくるわけです。つまりどんな流入があり、どのように作用するかがそれによって分かります。ここで流入というとすべて先行するもの、後続のものをまとめるもの、さらに後続のものを通して順序として最終的なものを造りあげるものです。
例えば、人間の場合すべて本人の英知に先立ち、これを造りあげていくものであり、政治家ではすべて本人の思慮に先立ち、これを造りあげていくものであり、神学者では、すべて本人の教養に先立ち、これを造りあげて行くもののことです。同じく幼児期から発出するすべては、一人の男性を造りあげ、また順序としてタネや苗から発出するものは、一本の樹木を造り、そのあと花からは実をならせます。新郎と新婦の場合も、先立ち発出するものすべてが二人の結婚をつくりあげます。これを流入といいます。
[2]. 精神の内部で先行するものは、すべてが系列をなして連なっていますそしてこの系列は、一つは他と並行し、一つは他と前後するような関係でまとまっており、いずれも最終的な末端部を合成しますが、以上についてはこの世では知られていません。しかしこれは天界の真理ですから、ここにつけ加えます。それは、流入がどんなふうに働いているか、また前述の系列が順序を経て形成され共存するようになる最終・末端は、どんな性格をもっているかが明らかになったことです。
以上ではっきりすることは、二人の精神の状態は、一定の順序を経て発出しながらも、結婚の状態の中へ流れ入っていることです。ただ結婚した二人は結婚後も、その斬進的過程については全くなにも知りません。そのような過程は二人の霊魂には先行するものによって植えつけ刻みこまれています。そして結婚愛に〈かたち〉を与えて行くのはそれで、しかも交互作用を働かせる二人の精神状態もそれによってつくられます。
[3]. 霊的な人と自然的な人では、それぞれの形成秩序が違っています。霊的人間の場合、正当な秩序によって進行して行きますが、自然的な人間では、正しくありません。霊的な人は主を見あげますから、主はその過程を手配され秩序に導きを与えられます。それにたいし、自然的な人は自分を見つめ、逆の秩序で進行します。したがって、このような人の結婚の状態は、内的には不純で満ちています。不純であればあるほど、それだけ冷たくなり、それだけ冷たくなれば、それだけ内部の生命が窒息し、そこから生命の流れに支障をきたし、泉も涸れて行きます。