天界の秘義#5278

原作者: 伊曼纽尔斯威登堡

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5278. 「エジプトの地では、年々の豊作が忘れられ」とは、両方の自然的なものの中で、外見上、真理が排除され、喪失することを意味します。「忘れる」すなわち忘却にもちこまれるとは、外見上の除去であり、その結果の欠如です。

「年々の豊作」が真理の増加、すなわち増え加えられた真理を指していることは、直前の5276節で触れました。そして、「エジプトの地」は、ここでは両面での自然的精神、すなわち人の自然的なものを意味します(5276節参照)。

② 「忘れる」とか、「忘却にもちこまれる」とは、外見上の排除であり、欠如です。記憶とか、それ由来の思考は、そのようなものだからです。それが考察の対象になると、本人は内容を、そのまま媒介なく直視し、本人になじむ事柄は、周辺の秩序におさまり、きわめて迂遠で、なじまないものは、忘れ去られます。本人が反対する内容は、そこから分離され、下のほうに保留され、下方で姿を見せ、上方のものとバランスをとります。このような秩序づけは、注がれてくる善によって行われます。人の思考は、すべてこのような様子です。

以上のような様子は、来世で現われてくる諸思考を見れば、明らかです。天界の光に照らされると、諸思考は、時として目撃できるのが普通です。そのとき眼に映るのは、諸思考配置が、以上のような〈かたち〉をしていることです。したがって、内的意味で「忘れる」というと、排除に他なりません。これはまた外見上の欠如になります。

  
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