天界の秘義 #5258

От Емануел Сведенборг

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5258. 第17-24節: パロはヨセフに語った。わたしの夢の中で、見よ、わたしは川岸に立っていた。すると見よ、その川から、肉は肥え、見かけの美しい七頭の雌ウシが上がってきて、葦のほとりで草を食べていた。そして見よ、その後、弱くて、非常に見栄の悪い、肉のやせ細った他の七頭の雌ウシが上がってきた。わたしはエジプト全土で、醜さの面でこれほどのウシを見たことがない。すると、そのやせた醜い雌ウシが、初めの七頭の肥えた雌ウシを食いつくした。腹に入っても、腹に入った様子は認められず、当初のように醜かった。そしてわたしは目が覚めた。そしてわたしは、また夢をみた。見よ、一本の茎に、七つの実った良い穂が出てきた。見よ、その後、やせ衰えて、東風に焼けた七つの穂が出てきた。そして、そのやせた穂が、あの七つの良い穂を飲み込んだ。わたしは占い師に話したが、だれひとり、わたしにそのわけを示さなかった。

「パロはヨセフに語った」とは、自然的なものに根ざした霊的・天的なものの考えを指します。「わたしの夢の中で」とは、薄暗がりの中で、予知されたものを意味します。「見よ、わたしは川岸に立っていた」とは、境界から境界までを指します。「すると見よ、その川から」とは、境界の中にあることを言います。「七頭の雌ウシが上がってきて」とは、自然的なものの諸真理を意味します。「肉は肥え」とは、仁愛に属するものを意味します。「見かけの美しい」とは、それに由来する信仰を指します。「葦のほとりで草を食べていた」とは、教化を意味します。

「そして見よ、その後、他の七頭の雌ウシが上がってきた」とは、その傍にある自然的なものに属する諸偽りを言います。「弱くて、非常に見栄の悪い」とは、空虚で、何の信仰もないことを指します。「肉のやせ細った」とは、仁愛が欠けていることを指します。「わたしはエジプト全土で、醜さの面でこれほどのウシを見たことがない」とは、諸真理や諸善と絶対に結ばれることができないものを意味します。「すると、そのやせた醜い雌ウシが、食いつくした」とは、仁愛が欠け、しかも信仰も欠けている諸偽りによって、追放されたことを意味します。「初めの七頭の肥えた雌ウシを」とは、信仰と仁愛に属する諸真理を意味します。「腹に入っても」とは、より内部にある撤去・追放を指します。「腹に入った様子は認められず」とは、善に属する諸真理がもう認められなくなったことを指します。「当初のように醜かった」とは、交流も結合もないことを指します。

「そしてわたしは目が覚めた」とは、照らしの状態を意味します。「そしてわたしは、また夢をみた」とは、いまだに薄暗がりの中で予知されたものを指します。「見よ、一本の茎に、七つの穂が出てきた」とは、自然的なものの科学知が結ばれたことを指します。「実った良い」とは、信仰や仁愛に属する事柄が適用でるものを指します。「見よ、やせ衰えて、東風に焼けた七つの穂が」とは、役に立たず、欲望で充満した科学知を指します。「その後、出てきた」とは、そのそばに現われたものを指します。「そして、そのやせた穂が、あの七つの良い穂を飲み込んだ」とは、役に立たない科学知が、役に立つ科学知を撤去・追放してしまうことを意味します。「わたしは占い師に話したが」とは、準内部の科学知に相談をもちかけることを意味します。「だれひとり、わたしにそのわけを示さなかった」とは、その中から感じ取られたものが何もないことを指します。

  
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