天界の秘義 #5259

От Емануел Сведенборг

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5259. 「パロはヨセフに語った」とは、自然的なものに根ざした霊的・天的なものの考えを指します。これは同様の語句を扱った前述の5251節で述べたことから明らかです。ただその場合、「パロはヨセフに言った」とありますが、ここでは、「ヨセフに語った」とあります。「言った」は、感知したことを指し、「語った」は、考察したことを指します(2271,2287,2619節)。

「パロはヨセフに語った」とは、自然的なものに根ざして、霊的・天的なものが考察することを意味しており、それ以外ではありません。つまりより外部にあるものは、自らに根ざして 考察するのでなく、より内部のものに根ざして考察します。換言すれば、より低級なものは、より上級なものの力で考察します。

もちろん、より内部のもの・より上級のものは、外部にあるもの・低級のものの中で、考察しているけれど、より外部のもの・より低級のものが、みずから考察を行っているように見えてはいても、それは、錯覚 でしかありません。ちょうど、鏡の中にあるものを見ていながら、鏡があるのを知らない人のように、見えている通り、そこにあると思いながらも、実際はそこにはないのと同じです。

② さて、霊的・天的なものは、より内部のもの・より上級のものです。そして自然的なものは、より外部のもの・より下級のものです。したがって、パロがヨセフに語った場合、その内的意味は、自然的なものに根ざして、霊的・天的なものが考察することを意味します。

一言でいうと、下級のものは、自らに根ざしてできることは、何もありません。

何かができるとすれば、より上級のものの力に依存します。その結果明らかなのは、万事は至高のお方によって、つまり神によって、行われているということです。

それで次のようになります。人は理性に根ざして考察し、意志に根ざして行動しますが、それは至高の方、つまり神の力に依存していることになります。しかしその考察が偽りであり、その行動が邪悪である場合、それは人自身にある受け止めの〈かたち〉に原因があります。周知のように、同一の能力が存在し、その力が、中間部や最外部の組成にしたがって、多種多様な運動を生み出しますが、そのように、神からの〈いのち〉は、人の中で、その〈かたち〉にしたがって、多種多様な考察や行動を生み出します。

  
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