イエス様が十字架にかかって死んだとき、地震が起きました。岩が割れました。十字架刑の命令を実行した百人隊長とその兵士たちは恐れた。
神殿の中心、「聖なるもの」、エルサレムのまさに中心で、聖なるベールが上から下へと裂けたのです。
真っ二つに裂けた」ベール...。
幕屋と後の神殿のベールは重要なものでした。出エジプト記や列王記上に詳しく書かれています。また 天界の秘義2576と書かれています。「理性的な真理は、精神的な真理に対する一種のベールまたは衣服である....ベールは、理性的な善と真理の最も近く、最も内側の外観を表していた....
そして今、イエスが十字架上で亡くなると、ベールは破れてしまいます。これは何を意味するのでしょうか?
スウェーデンボルグはその象徴をこう表現しています。
"...すべての外観が払拭されると、主は神そのものの中に入り、同時に神となったその人間を通して、神そのものへのアクセス手段を開いたということである。"(天界の秘義2576)
4つの分岐点となるスピリチュアルな出来事について考えてみましょう。
1)物理的な宇宙の創造。現在の推測では、138億年前)。 創世記1:1-10
2)生命の誕生。地球上では、35億年前から45億年前の間)。 創世記1:11-25
3) 霊的な意識を持つ人間の始まり。10万年前と推測されています。 創世記1:26-31
4)主なる神、イエス・キリストの受肉と復活(2000年前)。
神様の愛と知恵は、長い間、宇宙に流れ込んでいます。エントロピーが発生するかと思いきや、生命や知性を好むような宇宙が存在する。そのようにして流れ込んできた人間の心が、今、神に応答していることを神が知ったとき、それはどんなに充実した瞬間だっただろうか。
しかし、自由に反応できるということには悲劇が潜んでいます。なぜなら、私たちは反応しないこともできるし、逆の道を歩むこともできるからです。
私たち人間がより「洗練」されていくにつれ、神は私たちに到達するために新しいチャンネルを使いました。そして、それらのチャンネルには、初期の頃から、主がいつか人間の姿でこの世に来られるという予言がありました。
なぜ主はそのようなことをする必要があったのか。主は、私たちが救いに至る決断をするのに十分な善と真実が存在するためには、人々がそのような人間レベルのつながりを持つ必要があることを予見していたに違いありません。
スウェーデンボルグの説明に戻ろう。
"「...すべての外見が払拭されると、主は神そのものの中に入っていった...」。
主の地上での生涯を通して、主は私たちと同じ人間であるという外観がありました。人間の体を持っていました。疲れたり、空腹になったりすることもありました。疲れたり、お腹が空いたり、誘惑されたり(私たちと違って、いつも勝っていましたが)しました。霊的な生活の中で、彼は神の本質から切り離された人間の姿を痛感したことがあった。また、その姿が薄れ、自分の神性をより強く感じることもあった。彼が成長し、バプテスマを受け、宣教活動を始めたとき、彼は自分の中で起こっていること、つまり自分の人間的な部分が栄光に輝くことを、ますます強く意識するようになったに違いない。十字架上での肉体の死によって、肉体的な人間らしさはもはや邪魔なものではなくなった。その姿は払拭された。神と人間の間に新たなつながりが完全に形成されたのです。
そして、スウェデンボルグの発言の第2部です。
"同時に彼は、神となった彼の人間を通して、神そのものへのアクセスの手段を開いた。"
ベールが破れたのです。真の善よりも儀式を優先し、神は目に見えず、人間の知識からベールで隔てられていた古い宗教が破られたのだ。主の新しい教えによって、新しい光が人々に届くようになったのです。私たちは、神の人間として、より深く理解し、近づき、愛することができるようになった神に応答することができました。