天界の秘義 #6639

By Emanuel Swedenborg

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6639. 「本人とその家族ともに」とは、真理面からと、善の面から見た場合を意味します。すなわち「本人(人)」は、真理を意味します(3134,3459節)。「家族(家)」とは、善を意味します(3720,4982節)。

ヨセフがいるエジプトへ向けて、ヤコブの息子たちが到着し、またヤコブ自身も到着したことは、創世記の当該の章に記されていますが、これは教会の諸真理が、科学知に向けて開始導入されたこと、その開始導入が行われるまでは、教会が設立されないことを示します。それでここで内的意味上、事柄の流れに沿って、教会が設立されたことを取り上げます。また教会が科学知と諸偽りによって、いかにおびやかされ続けるかについても言及します。

たとえ諸真理が導入され、人の中に教会が設立されても、科学知と諸偽りは、絶えず蜂起し、人の中の教会的なものを攻撃してきます。パロとエジプト人がイスラエルの息子たちを苦しめ、生まれた男子を殺そうとしたのは、それを表象的に表わします。

② 来世では、教会出身者の場合、教会の真理は、科学知や諸偽りによって攻撃されます。それを知らない人は、事実がまったく信じられません。来世にやってくる教会人は、諸真理や諸善をおびやかす事柄から、清められねばなりません。そうしなければ、天界に挙げられることはないし、偽りから清められた天界社会に加わることはできません。万一そのまま天界に挙げられたら、晴天のオーラの中に漂う、世俗の濃密なスモッグか、あるいは、白光に照らされた黒い堆積物のようになります。

最近この世からやってきた教会人がいましたが、そのような状態に保たれ、諸真理と共鳴しない科学知や諸偽りから攻撃され、従来の科学知が無価値となり、除去されるまで続きました。人は、肉体のうちに生きている間、このことはめったに起こりません。しかし、天界に挙げられるはずの人々は、来世でこのようなことが起こります。ただしそれも多種多様な道筋があります。わたしは、それが行なわれている事実を、多くの体験で知らされました。これを全部書き綴れば、多くの紙面をついやすことになります。

③ 「イスラエルの息子たち」を通じて、内的意味上、記録されているのは、これです。かれらはエジプト人から虐待され、その後解放されました。やがては荒野で、さまざまな状態を経たあと、カナンの地に導き入れられます。

救いとは、ただのお情けで天界へ入れてもらうことだと信じる人には、以上のようなことは、ぜんぜん理解できないでしょう。かれらは、「信仰」という名の見かけ上の信頼で、救いはだれにでも与えられると思います。どんな生き様をしても、主が自分のために苦しまれたのだから、救われると考えます。もし救いがお情けで天界へ入れてもらうことだけなら、全世界の人々は、救われるはずです。主は慈しみそのもので、万人の救いを願われ、だれにたいしても、死や断罪を望まれないからです。

  
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Many thanks to Arcana Press for their permission to use this translation online.