天界の秘義 #6640

By Emanuel Swedenborg

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6640. 「ルベン、シメオン、レビ、ユダ、イッサカル、ゼブルン、ベニヤミン、ダン、ナフタリ、ガド、アセル」とは、始めから終わりまでの過程を示します。これは教会設立の過程を示すもので、これについてはすぐ後述する予定です。

ヤコブの息子たち「十二人」、また同じ名前の十二族は、善と真理のすべてを示します。換言すれば、信仰と愛の複合的総体です(3858,3926,3939,4060,6335節参照)。ただし名前の配列順によって、様々な意味になり(3862,3926,3939,4603節以降)、数え切れないほどで、結局は、教会と主のみ国に属する個々全体を示します(6337節)。

ある特定の順序で名前が配列される場合、それぞれがどのような意味になるかは、主おひとり以外には、だれも知りません。天界では、諸真理と諸善にどのような意味があるか、感知力のともなう諸種の光に照らされ明らかにされますが、それも主によって教わるのでなければ、だれひとり分かりません。

② 十二族は、主のみ国と、主のみ国にある総体を表象化したものです。十二の宝石がそれなりの順序で金板に刻まれ、各部族にそれぞれの宝石が割り当てられましたが、これは放つ光が表象となり、教会の諸真理と諸善が表わされるためでした。これがいわゆる胸板 で、アロンのエポデに取りつけられたものです。かれらは光の様々なきらめきを見て、応答をいただきましたが、その応答は、生の声や、内的な感知でした。

以上で、「イスラエルの十二族」には、主のみ国と教会における諸真理と諸善の複合的総体を意味し、同時にそれが、名前の配列順によって、さまざまな意味をもったことが分かります。

ここでは、出生順でなく、別の順序で配列されています。イッサカルとゼブルンは、ダンやナフタリより先に挙げられていますが、実際は、ダンとナフタリのほうが先に生まれました。ベニヤミンは、最後に生まれたにもかかわらず、ダン、ナフタリ、ガド、アセルより、先に置かれています。全員の最後に置かれているのは、ガドとアセルです。〈みことば〉の他の個所では、以上とは別の順序で配列されています。

  
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