天界の秘義 #5272

Po Emanuel Swedenborg

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5272. 「わたしがパロに申し上げる言葉は」とは、自然的なものが、霊的・天的なものに根ざして考察したという意味です。後述のように、「言葉」とは、物事を指し、「申し上げる(語る)」とは、考察(思考)するという意味になります(2271, 2287,2619,5259節)。ここで語っている当人の「ヨセフ」は、霊的なものの天的なものを表わします。「パロ」は、前述したように、自然的なものを表象します。

以上から、「わたしがパロに申し上げる言葉は」とは、ある事柄を意味しますが、それは自然的なものが、霊的・天的なものに根ざして考察したという意味になります(5262節を参照)。

言葉について触れておくと、原語で「言葉」とは、物事(事柄) を表わすもので、そのため、神の啓示もまた〈みことば〉と言いますし、最高の意味では、主も〈みことば〉です。主が〈みことば〉であると言い、主による啓示も〈みことば〉ですから、最も卑近な意味で、〈みことば〉とは、物事(事柄)としての万事が実在化する由来源である〈神の真理〉を意味します。

② 物事すべては、主のみ力による〈神の真理〉、つまりは〈みことば〉をとおして実在化し、実在していますが、これは未知に属する秘義です。これは王国が王の支配下にあるように、神のみ言葉とご命令によって、万物が創造された事実を指していると信じられていますが、実際は、〈神の善〉から発出する〈神の真理〉を指しており、結局は、万物を実在化され、実在させている根源である主から発出します。

〈神の善〉から発出する〈神の真理〉とは、くまなく宇宙にある実在そのもの であり、本質そのもの ですが、これこそ働きかけ、創造をなしとげる本体です。

〈神の真理〉というと、口から発しながらも、空中に消えていくような言葉としか考えないなら、どうでしょう。〈神の真理〉について、そんなふうに考えたため、〈みことば〉が、ご命令でしかないような意見が生まれました。万事は、ご命令によって造られたと考えると、主の神性から発出した実在物 から生まれたのではなくなります。

しかし前述のように、主から発出する〈神の真理〉こそ、実在そのものであり、本質そのものです。万物はそこから生まれました。善の〈かたち〉も真理の〈かたち〉も、そこから生まれました。ただしこの秘義については、神なる主の慈しみに頼って、詳細に後述することにします。

  
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Many thanks to Arcana Press for their permission to use this translation online.