ステップ _9713

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エズラ記 1

1 ペルシャ王クロスの元年に、主はさきにエレミヤの口によって伝えられた主の言葉を成就するため、ペルシャ王クロスの心を感動されたので、王は全国に布告を発し、また詔書をもって告げて言った、

2 「ペルシャ王クロスはこのように言う、天の神、主は地上の国々をことごとくわたしに下さって、主の宮をユダにあるエルサレムに建てることをわたしに命じられた。

3 あなたがたのうち、その民である者は皆その神の助けを得て、ユダにあるエルサレムに上って行き、イスラエルの神、主の宮を復興せよ。彼はエルサレムにいます神である。

4 すべて生き残って、どこに宿っている者でも、その所の人々は金、銀、貨財、家畜をもって助け、そのほかにまたエルサレムにある神の宮のために真心よりの供え物をささげよ」。

5 そこでユダとベニヤミンの氏族の長、祭司およびレビびとなど、すべて神にその心を感動された者は、エルサレムにある主の宮を復興するために上って行こうと立ち上がった。

6 その周囲の人々は皆、銀の器、金、貨財、家畜および宝物を与えて彼らを力づけ、そのほかにまた、もろもろの物を惜しげなくささげた。

7 クロス王はまたネブカデネザルが、さきにエルサレムから携え出して自分の神の宮に納めた主の宮の器を取り出した。

8 すなわちペルシャ王クロスは倉づかさミテレダテの手によってこれを取り出して、ユダのつかさセシバザルに数え渡した。

9 その数は次のとおりである。金のたらい一千、銀のたらい一千、香炉二十九、

10 金の鉢三十、銀の鉢二千四百十、その他の器一千、

11 金銀の器は合わせて五千四百六十九あったが、セシバザルは捕囚を連れてバビロンからエルサレムに上った時、これらのものをことごとく携えて上った。

エズラ記 2

1 バビロンの王ネブカデネザルに捕えられて、バビロンに移された者のうち、捕囚をゆるされてエルサレムおよびユダに上って、おのおの自分の町に帰ったこの州の人々は次のとおりである。

2 彼らはゼルバベル、エシュア、ネヘミヤ、セラヤ、レエラヤ、モルデカイ、ビルシャン、ミスパル、ビグワイ、レホム、バアナと共に帰ってきた。

3 パロシの子孫は二千百七十二人、

4 シパテヤの子孫は三百七十二人、

5 アラの子孫は七百七十五人、

6 パハテ・モアブの子孫すなわちエシュアとヨアブの子孫は二千八百十二人、

7 エラムの子孫は一千二百五十四人、

8 ザットの子孫は九百四十五人、

9 ザッカイの子孫は七百六十人、

10 バニの子孫は六百四十二人、

11 ベバイの子孫は六百二十三人、

12 アズガデの子孫は一千二百二十二人、

13 アドニカムの子孫は六百六十六人、

14 ビグワイの子孫は二千五十六人、

15 アデンの子孫は四百五十四人、

16 アテルの子孫すなわちヒゼキヤの子孫は九十八人、

17 ベザイの子孫は三百二十三人、

18 ヨラの子孫は百十二人、

19 ハシュムの子孫は二百二十三人、

20 ギバルの子孫は九十五人、

21 ベツレヘムの子孫は百二十三人、

22 ネトパの人々は五十六人、

23 アナトテの人々は百二十八人、

24 アズマウテの子孫は四十二人、

25 キリアテ・ヤリム、ケピラおよびベエロテの子孫は七百四十三人、

26 ラマおよびゲバの子孫は六百二十一人、

27 ミクマシの人々は百二十二人、

28 ベテルおよびアイの人々は二百二十三人、

29 ネボの子孫は五十二人、

30 マグビシの子孫は百五十六人、

31 他のエラムの子孫は一千二百五十四人、

32 ハリムの子孫は三百二十人、

33 ロド、ハデデおよびオノの子孫は七百二十五人、

34 エリコの子孫は三百四十五人、

35 セナアの子孫は三千六百三十人。

36 祭司は、エシュアの家のエダヤの子孫九百七十三人、

37 インメルの子孫一千五十二人、

38 パシュルの子孫一千二百四十七人、

39 ハリムの子孫一千十七人。

40 レビびとは、ホダヤの子孫すなわちエシュアとカデミエルの子孫七十四人。

41 歌うたう者は、アサフの子孫百二十八人。

42 門衛の子孫は、シャルムの子孫、アテルの子孫、タルモンの子孫、アックブの子孫、ハテタの子孫、ショバイの子孫合わせて百三十九人。

43 宮に仕えるしもべたちは、ヂハの子孫、ハスパの子孫、タバオテの子孫、

44 ケロスの子孫、シアハの子孫、パドンの子孫、

45 レバナの子孫、ハガバの子孫、アックブの子孫、

46 ハガブの子孫、シャルマイの子孫、ハナンの子孫、

47 ギデルの子孫、ガハルの子孫、レアヤの子孫、

48 レヂンの子孫、ネコダの子孫、ガザムの子孫、

49 ウザの子孫、パセアの子孫、ベサイの子孫、

50 アスナの子孫、メウニムの子孫、ネフシムの子孫、

51 バクブクの子孫、ハクパの子孫、ハルホルの子孫、

52 バヅリテの子孫、メヒダの子孫、ハルシャの子孫、

53 バルコスの子孫、シセラの子孫、テマの子孫、

54 ネヂアの子孫、ハテパの子孫である。

55 ソロモンのしもべたちの子孫は、ソタイの子孫、ハッソペレテの子孫、ペリダの子孫、

56 ヤアラの子孫、ダルコンの子孫、ギデルの子孫、

57 シパテヤの子孫、ハッテルの子孫、ポケレテ・ハッゼバイムの子孫、アミの子孫。

58 宮に仕えるしもべたちとソロモンのしもべたちの子孫とは合わせて三百九十二人。

59 次にあげる人々はテル・メラ、テル・ハレサ、ケルブ、アダンおよびインメルから上って来た者であったが、彼らはその氏族とその血統とを示して、そのイスラエルの者であることを明らかにすることができなかった。

60 すなわちデラヤの子孫、トビヤの子孫、ネコダの子孫で合わせて六百五十二人。

61 祭司の子孫のうちにはハバヤの子孫、ハッコヅの子孫、バルジライの子孫があった。バルジライはギレアデびとバルジライの娘たちのうちから妻をめとったので、その名で呼ばれることになった。

62 これらの者は系譜に載った者たちのうちに自分の名を尋ねたが見いだされなかったので、汚れた者として、祭司の職から除かれた。

63 総督は彼らに告げて、ウリムとトンミムを身につける祭司の興るまでは、いと聖なる物を食べてはならないと言った。

64 会衆は合わせて四万二千三百六十人であった。

65 このほかに、しもべおよびはしため合わせて七千三百三十七人、また歌うたう男女二百人あった。

66 その馬は七百三十六頭、その騾馬は二百四十五頭、

67 そのらくだは四百三十五頭、そのろばは六千七百二十頭あった。

68 氏族の長数人はエルサレムにある主の宮の所にきた時、神の宮をもとの所に建てるために真心よりの供え物をささげた。

69 すなわち、その力に従って工事のために倉に納めたものは、金六万一千ダリク、銀五千ミナ、祭司の衣服百かさねであった。

70 祭司、レビびと、および民のある者はエルサレムおよびその近郊に住み、歌うたう者、門衛および宮に仕えるしもべたちはその町々に住み、一般のイスラエルびとは自分たちの町々に住んだ。

エズラ記 3

1 こうしてイスラエルの人々はその町々に住んでいたが、七月になって、民はひとりのようにエルサレムに集まった。

2 そこでヨザダクの子エシュアとその仲間の祭司たち、およびシャルテルの子ゼルバベルとその兄弟たちは立って、イスラエルの神の祭壇を築いた。これは神の人モーセの律法にしるされたところに従って、その上に燔祭をささげるためであった。

3 彼らは国々の民を恐れていたので、祭壇をもとの所に設けた。そしてその上で燔祭を主にささげ、朝夕それをささげた。

4 また、しるされたところに従って仮庵の祭を行い、おきてに従って、毎日ささぐべき数のとおりに、日々の燔祭をささげた。

5 そしてその後は常燔祭、新月と主のすべて定められた祭とにささげる供え物および各自が主にささげる真心よりの供え物をささげた。

6 すなわち七月一日から燔祭を主にささげることを始めたが、主の宮の基礎はまだすえられてなかった。

7 そこで石工と木工に金を渡し、またシドンとツロの人々に食い物、飲み物および油を与えて、ペルシャ王クロスから得た許可に従って、レバノンからヨッパの海に香柏を運ばせた。

8 さてエルサレムの神の宮に帰った次の年の二月に、シャルテルの子ゼルバベルとヨザダクの子エシュアはその兄弟である他の祭司、レビびとおよび捕囚からエルサレムに帰って来たすべての人々と共に工事を始め、二十歳以上のレビびとを立てて、主の宮の工事を監督させた。

9 そこでユダの子孫であるエシュアとその子らおよびその兄弟、カデミエルとその子らは共に立って、神の宮で工事をなす者を監督した。ヘナダデの子らおよびレビびとの子らと、その兄弟たちもまた一緒であった。

10 こうして建築者が主の宮の基礎をすえた時、祭司たちは礼服をつけてラッパをとり、アサフの子らであるレビびとはシンバルをとり、イスラエルの王ダビデの指令に従って主をさんびした。

11 彼らは互に歌いあって主をほめ、かつ感謝し、「主はめぐみ深く、そのいつくしみはとこしえにイスラエルに絶えることがない」と言った。そして民はみな主をさんびするとき、大声をあげて叫んだ。主の宮の基礎がすえられたからである。

12 しかし祭司、レビびと、氏族の長である多くの人々のうちに、もとの宮を見た老人たちがあったが、今この宮の基礎のすえられるのを見た時、大声をあげて泣いた。また喜びのために声をあげて叫ぶ者も多かった。

13 それで、人々は民の喜び叫ぶ声と、民の泣く声とを聞きわけることができなかった。民が大声に叫んだので、その声が遠くまで聞えたからである。