天界の秘義 #5071

Door Emanuel Swedenborg

Bestudeer deze passage

  
/ 10837  
  

5071. 左側にいる人々は、「呪われた者ども」と言われました。永遠の火こそ、かれらへの罰になります。「それから、左にいる人々にも言われる。呪われた者どもよ、わたしを離れて、悪魔とその使たちとのために準備された永遠の火に入りなさい。かれらは、永遠の刑罰に向かって行くであろう」とあります。善と真理に背を向けると、悪と偽りに転向することになります。

〈みことば〉の内的意味では、「呪い」とは、背反(はいはん) を意味します(245,379,1423,3530,3584節)。かれらの行き先となった「永遠の火」とは、物理的火や良心上の拷問ではなく、悪の情欲です。人にある情欲こそ霊的火です。この霊的火は、生前はその本人を食いつくし、来世では拷問の苦しみにあわせます。そのような火の中から、地獄にいる者は、恐ろしいやり方で、相互に苦しめあいます。

② 永遠の火が物理的火ではないことは、明らかです。それが良心上の拷問でもないわけは、悪の中に漬かっている人は、良心をもっていないからです。肉体の〈いのち〉にある間、良心がなかった場合、当人は来世でも、良心をもつことができません。良心でなく、情欲です。

生命の火は、すべて人の愛からくるものです。天的火は、善と真理との愛によるもの、地獄的火は、悪と偽りの愛によるものです。換言すれば、天的火は、主への愛と隣人への愛によるものであり、地獄的火は、自己愛と世間愛によるものです。すべて人の内部にある火または熱は、それに由来します。これは注意すれば、だれでも認めることができます。したがって、愛が霊的熱であるわけが分かります。〈みことば〉で火とか熱というときも、そうです(934,1297,1527,15281861,2446,4906節)。

悪人にも〈いのち〉の火があり、情欲の激しいとき、そのような火の中に漬かっており、その火がもとで、他者を苦しめる情熱と狂暴に走ります。それにたいし、善人のもとにある〈いのち〉の火は、情愛の面で、いっそう高い段階にあり、火のようなものに漬かっている感じですが、これは他者にたいして善を行いたいとする愛と熱意に燃える火です。

  
/ 10837  
  

Many thanks to Arcana Press for their permission to use this translation online.