天界と地獄#413

原作者: 伊曼纽尔斯威登堡

学习本章节

  
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413. 天界とそのよろこびの実体と本性が分かるよう、わたしは、天界の喜びからくる嬉しさを感じる機会が、何回も、しかも長期間にわたって、主から与えられました。それで生きた経験からよく分かりながら、記すことができません。ただし、そのよろこびについて考えられるよう、何かを述べることにします。

天界のよろこびは、数え切れない嬉しさと喜びの情愛で、その喜びは、まとまった一つのものとして表わされます。その共通のもの、またはその共通情愛の中に、無数の情愛のハーモニーがあり、そのハーモニーは、区切りをもって感じとられるものではなく、むしろぼんやりしたもので、ごく一般的な知覚認識です。

さらに、感じとられたことは、数え切れないものが、整然としてその中にあり、これも書き記すことができません。その数え切れないものは、それぞれの性格を伴い、天界の秩序から流れてきます。このような秩序は、情愛の個々最小のものにまであり、それもきわめて共通した一つのものとなって現れ、主体側の包容力におうじて感じとられます。

一言でいうと、非常に整然とした〈かたち〉の中に、無限の情愛があり、それが各共通感情のうちに内在し、生気のないものはなく、万事がその内部から感動を与えます。それというのも、天界のよろこびは、その内奥から発してくるものだからです。

また、うれしさや楽しさは、心臓からくるもののように感じられました。それは、内部のあらゆる繊維質をとおって、きわめて優しく溢れ出ており、それが繊維質の終結した所にまで及んでいます。しかも内的感覚のうれしさを伴い、繊維質がうれしさと楽しさそのもののように感じられ、そこから知覚され感じられるものすべてが、いっしょになって、幸福感で生き生きとしています。

そのよろこびが、例えば最も純粋で稀薄なオーラだとすると、肉の快楽からくる喜びは、かさばり鼻をつくごみ,塵の山です。観察した結果、わたしが自分のよろこびを全部他人に伝えたいと思えば思うほど、よろこびが溢れてくるのが分かりました。これは主からくるものだと、はっきり感じとれました。

  
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Many thanks to Arcana Press for their permission to use this translation online.