主の教義#11

作者: エマニュエル・スウェデンボルグ

この節の研究

  
/ 65に移動  
  

11. 主が律法のすべてを実現されたことは、〈みことば〉のすべてを実現されたと同じことです。それは主によって聖書が成就したとか、万事が全うされたとある箇所で明らかです。例えば,

「イエスは会堂に入り、朗読のため立ち上がった。そのときかれにイザヤ書が渡されたが、その書を開くと、次の〈みことば〉が眼にとまった。『主の霊がわたしの上にある。そのためかれはわたしに油をそそぎ、貧しい者に福音を伝えるためにわたしを遣わされた。それはまた心の患いを持つ者を癒し、囚われた者には解放を告げ、眼の不自由な者には見えるようにし、主の日を知らせるためである』と。そのあと、かれは書を閉じて、言った、『きょうこの〈みことば〉は、あなたがたの耳で聞いたとおり、実現したのである』と」(ルカ4:1621)。

「聖書を調べて見なさい。そこにはわたしについてかれらは証言している」(ヨハネ5:39)。「聖書が実現するためであるが、わたしといっしょにパンを食べた者が、わたしを足蹴にした」(ヨハネ13:18)。

「かれらの中で、滅びの子以外にはだれも滅びなかった。これは聖書が実現するためであった」(ヨハネ17:12)。

「それは、あなたがわたしにお与えになった者の中、わたしはだれ一人失いませんでしたと言われた〈みことば〉が実現するためであった」(ヨハネ18:9)。

「イエスはペテロに言われた、『あなたの剣を鞘におさめなさい。聖書はこのようにして実現しなくてはならない』と。以上はすべて預言書にあることがらが成就するために起こったことである」(マタイ26:5254)。

「聖書が実現するため、そこに記されているように人の子は去っていく」(マルコ14:2124)。「こうしてかれは罪人の一人に数えられたとある聖書の言葉が成就した」(マルコ15:28ルカ22:37)。

「聖書が実現するため、かれらは上衣を裂いて分配し、その下衣は籤引きにした」(ヨハネ19:24)。

「イエスは酢を受けられると、成った、すなわち実現したと言われた」(ヨハネ19:30)。

「これが起こったのは、あなたがたはかれの骨を砕くことがないとの聖書が実現するためであり、また聖書の他の箇所では、かれらは刺し貫いたものを仰ぎ見るであろうとある」(ヨハネ19:3637)。

他にもありますが、そこでは預言書が引用されていて、律法あるいは聖書が実現したとは記しているわけではありません。〈みことば〉はすべてそのお方について記したもので、その〈みことば〉が実現するためにこそ、その方はこの世に来られました。この世を去るまえ次の〈みことば〉で弟子たちを教えておられます。

「イエスは弟子たちにたいし、『預言者たちの言う事すべてを信じるに、愚かで心の鈍い人たちよ、キリストは苦しみを受けて、栄光にはいるはずではなかったか』と。そしてモーセやすべての預言者たちから始まって、かれについて記してあるあらゆるところから、かれらに説明された」(ルカ24:252627、ほか)。

「イエスは弟子たちにむかって言われた、『まだあながたがと一緒にいたころ、言っておいたことであるが、わたしについて、モーセの律法と預言者の書と詩篇に書いてある事柄は、かならず全部実現することになっているのだ」(ルカ24:4445)。

この世にあって、主はその微細な一つ一つのところまで〈みことば〉を全部実現されたことは、ご自分から言われた次の言葉ではっきりします。

「よくよく言っておくが、天地が過去っても、律法からその一点一画にいたるまで実現しないところはない」(マタイ5:18)。

ここではっきりすることですが、主がすべての律法を実現させると言われたことは、十戒の掟全部という意味ではなく、〈みことば〉全部という意味です。

  
/ 65に移動  
  

Many thanks to Arcana Press for their permission to use this translation online.